「 ゲンモンバシと東大生? 」
『GQ』 2001年2月号
COLUMN POLITICS
日本の子どもたちの勉強離れに今や歯止めはないのか。国際教育到達度評価比較によると、理科や数学が好きだという中学生は、5年前の調査に較べてさらに減少した。数学の得点も、かつては世界のトップ水準だったのが5年前の調査で3位に下がり、今回はさらに五位に下がった。理科は3位から4位に後退した。
学校以外の自宅や塾で勉強する子どもは、調査対象23カ国中、数学が22位、理科が21位で最低レベルだった。
文部省は、日本の平均値が特に下がったとも、学力低下がおきているとも考えない、横バイであるとコメントした。しかしこれは事実を見ないコメントだ。
今回の調査には、5年前には参加した独、仏など多くの欧州諸国が参加しておらず、代わりにアフリカ諸国が多数参加しており、そのため、5年前の結果と単純比較して、順位や平均値が下がっていないと結論づけるのは妥当ではない。たしかなことは、香港にも台湾にもシンガポールにも韓国にも抜かれ日本は東アジア最低水準国になったということだ。
こうしたことが分数計算の出来ない大学生を大量に生み出していることは、多くの人が指摘している。だが、日本の教育の退歩は、理系に限ったことではない。評論家の松本健一氏と話していて、氏が教えている東大生に話題が及んだ。氏は学生たちの能力が信じ難い低レベルに落ち込んでいるという。
たとえば氏は保田興重郎の「日本の橋」という文章を、学生たちに音読させているが彼らはこう読むというのだ。
「東京の橋にもいい名前がある。セイシュウバシ、ゲンモンバシ……」
えっ、おかしいね、セイシュウバシって何だいと思ってみると、「清州橋」、ゲンモンバシは「言問橋」だという。蔵前橋は「ゾウゼンバシ」と東大生が読む。
かつてNHKの「ひらり」に登場していた蔵前と現実の日本の蔵前が結びついていないのだ。
で、松本氏曰く。
「言問橋なんて、『伊勢物語』を少しでも知っていればわかることなのです」
『伊勢物語』は「昔、男ありけり」で始めるあの在原業平の旅物語である。東の国を目指して行く時に、八橋という場所でひと休みした。その時、かきつばたが大層趣き深く咲いていたため、「かきつばた」の5文字を句の上において詠んだのが「唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばる来ぬる旅をしぞおもふ」であるというのは、中学生か高校生の頃に習った覚えがある。
この『伊勢物語』に「いざ言問わん、みやこどり、わが想う人あるやなしや」というくだりがある。
「言問橋はこの物語のこの場面から生まれてきたのです。受験勉強では、伊勢物語といっても、最初の1行か2行しか学ばない。だから、中味も、そこから生れた地名もエピソードも知らない。それが一応、日本のトップ水準だといわれる東大生なんです」
と、松本氏は嘆いた。
もうひとつ、物哀しくも恐ろしいはなしがあった。一寸の虫にも五分の魂という言葉は、東大生の99%がかける。しかし、では一寸は何センチかと問うと「3センチ」と答えることの出来ない東大生が、100人中90人はいるというのだ。尺貫法が廃止されたためで、一尺も一寸も知らない。方丈の庵などといっても、どの位の広さかもわからない。寸も尺も、浴衣を縫えば教わるでしょうと言ったら、今時は浴衣は縫わずに吊るしを買って着るからわからないとのことだった。
これでは、日本の文化なんてどう伝えていけるのか、こんな素養のないことでは日本の未来は暗いぞと、2人して合点したのだが、そのとき私はふと想いだしたのだ。20代初めの頃、常夏のハワイから戻って新聞社に就職し、労働問題の取材に行った先で「ミソシキ労働者」と2~3度もいわれ、私は「?」と考え込んだ。「未組織」が思いうかばず、素養も知識もなかった私は「味噌式? まさか!」と思ったのだ。素養のないということの、ああ、なんと恥ずかしいことか。それともこれは素養以前の問題か。